2026.03.18
川の流れのように
こころ

毎年、熊本県にある
山吹水源、池山水源を訪れます。
阿蘇の大地の奥から、
こんこんと水が湧き出る神秘的な場所です。

その水の量は、毎分30トン。
透き通る水が、
静かに、絶え間なく湧き続けています。
その光景を見ていると、
まるで地球が呼吸しているようで、
心の奥まで洗われるような気がします。
あまりの美しさに、
私はいつも気がつけば
2時間ほどその場に立ち尽くしています。
水はただ、湧いているだけ。
誰かに見てもらうためでもなく
誰かに評価されるためでもなく
ただ静かに、湧き続けている。
その水はやがて小さな流れになり、
川となって山を下っていきます。
上流の水は、
驚くほど澄んでいます。
けれど川は、山を下り
人の暮らしの近くへ来るにつれて
少しずつ濁っていきます。
落ち葉が混ざり、
土が流れ込み、
時には人が落としたものまで
水の中に入ってくる。
それでも川は、
流れることをやめません。
「濁ってしまったから」と
立ち止まることもなく、
「昔はもっときれいだった」と
嘆くこともなく、
ただ静かに、
海へ向かって流れ続けます。
私はその姿を見るたびに、
人の人生を思います。
人もまた、生まれたときは
水源の水のように
澄んだ心を持っています。
けれど生きていく中で、
悲しみや悩み、
怒りや不安、
さまざまな出来事が混ざり合い、
心は少しずつ濁ることもある。
でもそれは、
一生懸命に生きてきた証。
もし濁りがなければ、
それは流れていないということ。
川が海へ向かうように、
私たちもまた
人生という海へ向かって歩いているのです。
そして海に出た水は、
濁りも、澄みも、
すべてを包み込まれます。
やがて太陽に照らされ、
空へと昇り、
雲となり、
また雨となって
山へ帰っていきます。
そして再び、
あの水源から
澄んだ水として湧き出す。
人の人生も、きっと同じ。
どんなに濁ったように感じる日があっても、
そのすべてが
人生という大きな循環の中で
意味を持っているのだと思います。
だから、
濁ってもいい。
迷ってもいい。
ただ一つ大切なのは、
流れることをやめないこと。
濁ってもいい。
流れてさえいれば、
また澄む日がくるのだから

今日も私の小さな言葉が、誰かの小さなお守りになりますように