2026.03.16
人生の競技がちがうだけ
こころ

人とのご縁が
ふっと終わるときがあります。
胸が締めつけられるような
哀しい別れもあります。
でも、ときには
不思議と心のどこかで
ほっとする別れもあります。
日本ではよく
「ご縁」という言葉を使います。
それは
出会ったことだけではなく
別れることも含めて
ひとつの巡り合わせだと言われています。
だから私は
ご縁が終わるとき
自分にこう言い聞かせるようにしています。
「そもそも競技が違ったんだ」
例えば
マラソンを走っている人と
水泳をしている人がいたとします。
マラソンの人が
「どうして走らないの?」と言い
水泳の人が
「どうして泳がないの?」と言う。
それは
どちらが悪いわけでもありません。
ただ、競技が違うだけ。
人生も
きっとそれと同じなのだと思います。
大切にしている価値観
歩くスピード
めざしている場所
それが違うと
同じ道を歩き続けるのは
だんだん苦しくなります。
昔の私は
ご縁が終わるたびに
「自分が悪かったのかな」
「もっと頑張ればよかったのかな」
そんなふうに
自分を責めてしまうことがありました。
でもあるとき
ふと思ったのです。
もしかしたら
そもそも競技が違っただけなのかもしれない。
陸上の人に
泳げと言っても苦しいし
水泳の人に
42キロ走れと言っても苦しい。
無理を続ければ
どちらも疲れてしまいます。
人は
必要なときに出会い
必要な時間を共に過ごし
そしてまた
それぞれの道へ戻っていく。
それもきっと
ご縁の形なのだと思います。
だから私は
ご縁が終わるとき
こう思うようにしています。
「ここまで一緒に歩いてくれてありがとう」
そして
「ここからはそれぞれの競技で頑張りましょう」
別れは
必ずしも失敗ではありません。
それは
それぞれの人生のコースに
戻るだけなのかもしれません。
同じ競技ではなかったけれど
同じ時間を過ごしたことには
きっと意味があったのだと思います。
出会いもご縁なら
別れもまた
ご縁のひとつ。
だから私は思うのです。
どんな縁でも、
最後は感謝で終わりたい。
もし今
誰かとの関係に
心が疲れている人がいたら
こう思ってみてもいいかもしれません。
「私たち、競技が違ったのかもしれないね」
そう思えたとき
人を責める気持ちも
自分を責める気持ちも
少しだけ
軽くなる気がするのです。
ご縁が終わるのは
負けたからではない。
ただ
走るコースが違っただけ。
そして
どんな縁でも、
最後は「ありがとう」で終われたら
それはきっと
とても美しいご縁だったのだと思います。

今日も私の小さな言葉が、誰かの小さなお守りになりますように